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インタビュー

リレーインタビュー「飲食の侍たち」にほんしゅ屋 nico シマウマ酒店 店長 我妻知惟

飲食の侍、2人目の長尾さんからバトンを受け取ったのは、「にほんしゅ屋 nico シマウマ酒店」の我妻さん。
インタビュー場所は市内のカフェだった。初対面だったにもかかわらず満面の笑みで私が質問するより先に自己紹介を始める。
「今回インタビュー受けると思って自分で質問内容に対して文章書いてみたんです。そしたら思っている以上に内容が薄くて・・・。こんな自分で大丈夫かと心配になってしまいました。大丈夫ですかね?」
インタビューを受けるために自分の飲食人生をいったん自分でまとめてみようとしてくれるその優しさに感動です、こちらは。しかもそのまとめた資料を忘れてくるという天然なのか計算なのかわからない可愛らしさに、真正面から彼の話をきちんと聞きたい、そう思いました。

「にほんしゅ屋 nico シマウマ酒店」は8月8日OPEN。
そのため、店内の雰囲気や彼の接客を見ることはできなかったが、その代り、彼が以前働いていた河原町の「ぃぃ居酒屋 アラタ」へ連れて行ってくれた。
私と話していたときとはまた違ってもともと一緒に働いていた同僚に対してはしっかりした一面ものぞかせる。彼のコロコロ変わるその表情と、相手に対する真摯な姿勢、あとはやっぱり飲食業の話をしているときの楽しそうな笑顔。これに勝るものは何もないな、と感じた。
どんな経験や技術やシステムより、相手のことを想って自分自身も楽しんで仕事ができる姿勢、それこそが飲食業の醍醐味だと思うし、彼は本能でその素質を持っている人なのだと感じずにはいられない。
今回はそんな彼がまだ20代である自分の飲食人生を一生懸命飾らずに教えてくれました。
20代だからこそ話せる苦悩、迷いは、飲食業を歩もうとする若者共通のものなのかもしれません。
恰好つけるのは簡単。でもまっすぐ自分の想いを話す彼の心意気に感謝しながら、
【飲食の侍、3人目】どうぞ最後までお読みください。

【飲食の侍、3人目。】

プロフィール
11269492_603058366464444_989949718_n我妻 知惟(あがつま とものぶ)
1987年8月29日、宮城県仙台市生まれ
にほんしゅ屋 nico シマウマ酒店 店長兼料理長
株式会社 サティスファクション →HP

以前の職場:ぃぃ居酒屋 アラタ
      おじいちゃんと呼ばないで

1、飲食を始めたきっかけ
大学進学の際にはじめた一人暮らしをきっかけに、友人相手によく手料理をふるまっていました。幼いときから読んでいた「クッキングパパ」という漫画本に影響を受けていて、自分の料理で友人が笑顔になってくれる、その空気感がたまらなく好きだったんです。自分が美味しいものを食べたいからではなく、ただ友達に喜んでもらいたくて料理を作っていた、という感じでした。
仕事として飲食にふれたのは、アルバイトとして「旬味三昧 自然坊(しゅんみざんまい じねんぼう)」で働きはじめてからでした。割烹出身の親方と奥さんが切り盛りするお店で、平日は自分を入れて3人、週末はもう一人増えて4人態勢で営業するような小さくて温かいお店でした。親方の作業を傍らで手伝いながら、カウンター越しにお客様の笑顔を直に感じることができて本当に楽しかったのを覚えています。食と酒と笑顔の集まる場所を提供することが自分の好きなことなんだと、改めて実感できました。いまでもこのとき感じた満足を求めていますし、理想的なお店だったと思っています。 「自然坊」で働いて1年半ほどしたとき、親方が長年考えていたイタリアンのお店を実現させることになり僕は大学を辞めて働くことに決めました。そして一番町の地下に約10坪ほどの「クッチーナ」というお店を開店させたのです。自分が飲食のつらい部分を経験した時期でもあります。とにかくお客様が来ませんでした。お客様が来ないということが、悪循環を招きました。今なら、自分自身もう少し違うアクションを起こせたんじゃないかと思いますが、そのときはどうすることもできませんでした。現実逃避から、まだ間に合うかもと復学を考えたり、公務員試験を受けてみようかなと考えてみたり、飲食とは違うことをやってみたいと思うようになっていました。雇ってくださっていた親方に本当に迷惑をかけた、と思っています。僕は逃げるように「クッチーナ」を辞めました。

辞めてから特に進む道も定まらないまま約1年間フリーターとして働きました。勉強と称してよく東京に行き、気になる飲食店を回ったり、美術館を巡ったりしていました。目的意識が低かったので、いま思えばただの観光ですが楽しい経験でした。この期間、ありがたいことに人と会って飲む機会も多く恵まれ、自分自身がお客さんとして居酒屋で楽しい時間を過ごすという経験も積むこともできました。逃げるようにやめた悔しさと、楽しい経験の積み重ねもあって、その場を提供する側に戻りたいとふつふつと感じるようになっていきました。
そんな折、転機が訪れました。飲食にもどるためフリーターを辞め、貯めていたお金も無くなって東京にも行けなくなった2011年の11月、実家の近くに「ぃぃ居酒屋 アラタ」ができたんです。そこには『人がいません、助けてください』という貼り紙が貼ってありました。深いことは考えず、行動資金とリハビリのためにまずここで働いてみよう、と面接希望を出しました。その後の展開は驚くほど早く、ありがたいものでした。人生の財産と思える社長・先輩・同期や後輩との出会い、試用期間2週間での社員登用、ホールスタッフとして責任ある仕事を任せてもらえたこと、連日連夜の反省会と称した飲み会の数々。なにより、笑顔で帰っていくお客様の姿が嬉しくて楽しくて、本当に充実した時間を過ごすことができました。結果にも恵まれ、1年3ヶ月後には2号店を出すことが決まりました。新店舗のオープニングスタッフとして、当時の料理長とともに配属されることになりました。
店名は「おじいちゃんと呼ばないで」。2013年3月に、富沢で立ち上げました。立ち上げ経験は人生2回目でしたが、若い男子ばかりでワイワイ立ち上げたのでただただ楽しかったのを覚えています。この店名は地元の方々に愛されるように自分たちで考えてロゴ等も自分たちで描きました。身内からはふざけすぎだと言われましたが、結果、店名の話で盛り上がってくれるお客さんがいたり、記憶にとどめてくれる方も多くいてよかったと思っています。半年後には、目標にしていた売上にも届き軌道に乗ったという実感をスタッフで共有できていたと思います。

順調な店とは裏腹に、悩みはじめたのもこの頃でした。「ずっとこのままここにいるのか、ずっと飲食をやるならもっと料理の勉強もしたい、今のままで納得する自分になれるのか」と。また、結婚を考えていた相手や両親からも、昼間の仕事に就いてほしい、と言われていたこともあり、僕の中で飲食という仕事に対して漠然とした不安が膨らんでいきました。いつの間にか、一緒に立ち上げをした料理長と腹を割って話ができなくなっていきました。立ち上げてから約9ヶ月後、自分の行動の失敗がきっかけとなり料理長とついに静かな喧嘩。そしてでてきた「辞めます」の一言。本当に自分でも呆れますが、口から出た言葉を撤回できませんでした。

辞めることが決まってから、今度こそ本当に昼間の仕事に就こうと考えて、それまでお世話になった酒屋さん(池田酒店:池田雄一さん)に挨拶に行きました。まだまだ飲食が好きで仕方なかったのですが、それでも一度決断したことだからと、業界を離れることをきちんと伝えようと思ったんです。そしたら「甘い!何も達成していないじゃないか。あなたが思うほど、昼間の仕事にいい席は残っていないよ。」と説教してくださったんです。胸にささりました。やっぱり飲食が好きでしたし、辞めたくはなかったですから。池田さんに背中を押してもらう形で、今の会社(株式会社サティスファクション)の井戸沼社長をご紹介いただきました。2014年1月~2015年3月の1年3ヶ月の間、同社「ゴールデンモッツ」で、同年4月からは系列の「シマウマ酒店」で働かせていただきました。僕は1か所に留まることが下手な性格かもしれません。もっと吸収したい、もっと成長したい、もっと上に行きたい、と外に出てしまう。将来を考えて悩んで漠然と不安になってしまう。ただ、今回は井戸沼社長からビックチャンスを頂きました。8月8日にOPENする系列店「にほんしゅ屋 nico シマウマ酒店」の店長に就任することが決まりました。20代の集大成、いままで外に向けていた目を足元に落とし根をはって、店長という役割を全うしていきたいと考えています。 僕がいまここにいるきっかけはこういう経緯です。いまも理想は「自然坊」のあの雰囲気。自分なりのあの空気をつくれるようになりたいと思っています。

2、影響を受けた人
池田酒店の、池田雄一さんです。日本酒だけでも料理だけでも成立しないこと、「日本酒と料理のマリアージュ」を考えましょう、というスタイルをずっと貫いている人です。8月9日に開催される『純米酒BOWL』の発起人でもあります。 先に述べたように、僕がいま飲食にいるための背中を押してくれた人でもあります。
※参考
池田酒店 →HP

3、飲食をやめたいと思ったことは?
何回もあります、節目のとき、人間関係でどこか吹っ切れない部分が出てきたとき、何度も辞めようと考えましたし、実際2回も実行に移してしまっています。でも結局はやめられないです。
20代のうちなら何か違うことができるかも、とつい考えてしまうんです。「飲食以外にできることの可能性が消えていく」と考えたり、経験を積む時間がすごく大事に思えたりして、30代になって戦う時に武器が飲食経験しかない今のままじゃダメだって焦っていました。どこで何と戦うかなんて決まっていないんですけどね。

4、飲食をやっていて幸せを感じるときは?
お店とお客様の気持ちがひとつになってみんなが笑顔になっているときです。それを身近で感じているときが一番幸せです。「自然坊」では、営業後に親方の友人にちょっとした料理を提供させてもらっていた時、料理の腕はまだまだなので怒られていましたがその空気感がすごく幸せだったんです。今でもその空気感を作りたいと思っています。

5、今後の野望は?
野望と言われちゃうとすごく難しいんです。小さい成功を積み重ねて振り返ったら大きい成功をつかんでいた、という人生を歩みたいし、その時自分がどう感じるかを体験したいです。新店である「にほんしゅ屋 nico シマウマ酒店」に自分自身を投影して、まずはお客様に愛してもらえる店づくりをしたいと思っています。野望ということではないですが、今はそれが目標です。

6、自分が目指す人間像は?
松浦弥太郎さんです。この方の本が好きでよく持ち歩いているのですが、松浦さんのように「丁寧に毎日を生きられる人」になりたい、と思っています。 いままでは自分のできることが見えていたのが、最近はできないことが沢山見えてきましたし、1人じゃできることに限りがあって、周りの人に助けてもらわなくては大きなことはできないとひしひし感じています。周りにいる人を大事にして、不器用なりに丁寧に生きていきたいです。あと、先輩に「ありがとう」だけでなく具体的に何に対して「ありがとう」なのかをちゃんと伝えようと意識している人がいます。そういう人に自分もなりたいです。

7、飲食を始めたころ(独立したころ)の自分へ声をかけるとしたら?
「周りの人を大事にしましょう」ですね。今の自分があるのは周りの人たちのおかげなので。下手に格好つけたり言葉にできなかったりする自分を理解して怒ってくれた諸先輩方に頭があがりません。あとは、生産者さんや料理人への感謝も込めて「食べ物は残すなよ」ですね。 昔も今も残してはいませんが、これからも食べ物に感謝していきたいです。

8、飲食業で大切なことは?
「お客様に笑顔で帰っていただくこと」 居酒屋は多種多様な人が来て、平等に楽しんで満足して帰ることのできる場所だと思っています。だからこそ、お客さんを見た目で判断せずスタートラインをフラットにすることが大事だと思っています。結果として、お店の中で築けた関係がそのまま最後の笑顔に反映すると考えています。

9、好きな本は?
松浦弥太郎著:100の基本  →Amazon
僕は松浦さんの本は全般的に全部好きで気にいったところには線を何度も引っ張ってしまうほどなのですが、持ち歩いて振り返れるのはこの本です。 1ページ1ページにヒントとなる教えが書いてあって、特に「八勝七敗の法則」や「情報とは自分の経験、知識はほどほどに」や「値段を見て「高い」「安い」と言わない」「100冊の本を読むよりも、よい本を100回読む」といったような、心にスッとはいってくる文章が書いてあるので、よく何度も読んでは振り返っています。

10、フードスタジアム東北に期待することは?
僕らみたいな20代の若者の繋がりの場があまりないなと感じています。 その繋がりを作る機会が欲しいです!

11、次にバトンを渡したい人は?
千葉 壮彦さん→Facebook
いままで「ピッツェリア パドリーノデルショーザン」で本格石窯焼きナポリピッツァを焼いていた方です。
この方は2012年にイタリア・ナポリで開催された「第11回ナポリピッツァ職人世界選手権」で3位になった凄い方です。飲食をやっていて世界とつながっていると思える瞬間ってそんなにないと思うのですが、千葉さんはその経験をしてきた人。何を見て、どう感じ、どう生きてきたのか、その経験や想いを伺ってみたいです。

12、読者へ一言
僕は飲食に携わってまだ5年です。まだまだ未熟な自分ですが、機会をいただくことができました。だからこそ、特別な人間ではない飲食人の意見として読んでもらえたら嬉しいです。 自分じゃない他の人にも同じような悩みがあって、みんなもがいているんじゃないかと思います。 僕ら20代はほんのちょっとしたことで飲食業をあきらめたり辞めざるを得ない状況に陥ったりしてしまいます。飲食の価値を上げて、魅力的な仕事をして、周りに認めてもらえる業界になるように頑張っていきたいと思います。

(取材=澤田てい子)

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