2011年3月の東日本大震災から4年目の今年、
仙台の飲食業界に新たな波が立ち始めている。
きっかけは、2014年12月、仙台駅近くにOPENしたクラフトマン仙台
父親の影響もあり、仙台にどうしても出店したかったと話す千社長の仙台進出は
仙台の飲食経営者が誰も出店しようとしなかったビルの1階、しかも、取り扱うのは仙台にはまだブームが来ていなかったクラフトビールだった。
もちろん、仙台にも、地元に愛されるクラフトビールのお店はあるものの、「あの立地で、あの広さで、クラフトビールか…」というのが仙台飲食経営者の正直な第一印象だったのではないかと思う。
「クラフトビールという言葉を聞くのも初めて」という街の声も確かに多く、知っていたとしても「クラフトビールは高い」、「ビールばかりは飲めない」、という消極的な意見ばかりが目立った。
そんな中、千社長が仙台出店にこだわり、現在でも大人気繁盛店となっている理由。
それは、「イートローカル」という考え方そのものが現在の東北にマッチしていたこと、
また、東北人が受け入れやすいイタリアンと融合させたこと、イタリアンに合うワインやオリジナルカクテルを充実させたこと、31種類のビアタップを窓際に配置し通る人の興味を引いたこと、仙台にはいままでなかったスタイリッシュなNYスタイルの店舗にしたことなどたくさんあるが、何より、仙台という街を愛し人を愛しこの地に根ざすお店づくりをしたことに集約されると私は思う。
仙台に在住しているスタッフを多く採用したことはもちろん、東京にいる有力な社員を仙台に移住させ、さらに社員を1店舗に11名も配属させた。
店舗における社員数の多さは仙台では考えられない構成だ。
いまでは、「クラフトビールを飲むなら、まずはクラフトマンに行こう」と言われるくらい定着しつつあり、また「美味しいイタリアンのお店」「本格的なパンケーキを楽しめるお店」としても人気が高い。
もともとあった地元に愛されるクラフトビールのお店との関係性も良く、ビアマップ(アンバーロンド@田村氏がクラフトビールの知名度を上げるため自主作成、配布していたもの)を自社のメニューブックに掲載するという粋な取り組みも行っており、そういった遊び心や細かな配慮や尊重が、さらなる飲食の発展の輪を広げているのだと思う。
クラフトマンの仙台出店から約半年。
わかったことは、仙台人は新しい外食の波を待ち望んでいたということ。
震災復興に乗じて利益重視で出店したお店の多くは淘汰され、落ち着きを取り戻すとともに、新たなビルの建設等で新しい外食シーンの提案が必要とされてきている。
そんな中での、東京飲食大繁盛店の新しい波。
「遊びに」来るのではなく「見に」来るのではなく「出店・プロデュースを前提に研究しに」来る東京飲食大繁盛店経営者が増えてきた。
街の構造、人の流れ、周囲のお店、数々の繁盛店を作り上げてきた鋭い目線で仙台という街をそれぞれに分析、そして検証しようとしている。
5月17日には関東・海外で大ヒットしているビストロ経営者、アガリコ大林社長による仙台初プロデュース店、ヤムヤムチンチンもOPENしたばかりだ。
ヤムヤムチンチンは、もともと国分町でHidamariという人気店を営んでいた及川社長が、OPENさせたエスニック屋台バル。リニューアルするならアジア料理のお店、と決めた中で、実績のある大林社長にプロデュースを依頼することに一切の迷いもなかったという。
自分の経験値だけでは補えない分野を、プロデュースという形で補い、新しい飲食ジャンルに取り組んでいく仙台飲食経営者も増えてくるだろう。
まだ明らかにはできないが、今後さらに東京飲食大繁盛店の新たな出店計画やプロデュース計画もある。
見ていると共通して言えるのは
「仙台に無理矢理合わせようとはしていない」ということ。
自分たちのスタイルで、仙台人を魅了していく方法を探り、実現しようとしている。
過去には「時代が早すぎて撤退した」と言われるお店もあったが、今の仙台は、
新しい波を受け入れ共存し切磋琢磨できる環境が整ったということなのかもしれない。
震災以降、仙台の飲食業界は食材難の苦しさを乗り越え、風評被害を乗り越え、震災復興享受という名の外部からの偏見を乗り越え、やっといま、正常に戻りつつある。
地元仙台飲食店の強くて愛情のある波に、東京飲食大繁盛店の大きな波が追いつくことで、仙台の飲食業界は今後新たな発展を遂げるだろう。
2015.05.21