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インタビュー

飲食に恋してる裏方たち  株式会社 カネサ藤原屋【酒屋耕太】

飲食店は、料理をつくる人や店を動かす人たちだけで成り立っているわけではない。
酒屋、卸、配達、事務、営業、ものをつくる人、場を設える人、届ける人。
名刺に「飲食」と書かれていなくても、確実に現場を支えている人たちがいる。
この連載では、表に立たない「飲食人」に話を聞く。
なぜこの仕事を続けているのか。
誰に、どんな影響を受けてきたのか。
そして、いつ自分を「飲食人」だと思えるようになったのか。
これは、飲食に恋している裏方たちの記録だ。

プロフィール

酒屋耕太 (さかやこうた)
1983年11月19日生まれ 宮城県仙台市出身
株式会社カネサ藤原屋 営業課長
【主な活動・実績】
藤原屋にて仙台市内を中心に今まで
約1000軒の飲食店を担当
一度離職し、
3年間東京にて、同じ業務用酒販店の
柴田屋酒店で新橋・赤坂エリアを担当後に
東京の名だたる企業の担当を経験
藤原屋に復帰後は
仙台・東北と東京の架け橋となることと
この飲食文化を伝えることを使命に活動




まだ飲食人じゃなかったころ 

――飲食の外側にいた

酒屋耕太さんには、長い間、サッカーしかなかった。
プロを目指し全てを注いだ。だが、その道は続かなかった。
挫折のあと、ハローワークに行き、「体を使う仕事を紹介してほしい」と伝えた。
もう一つ、はっきりしていたことがある。人に頭を下げる仕事や、スーツを着て回る営業は、自分には向いていないと思っていた。
そうして辿り着いたのが、藤原屋だった。
最初の仕事は配達。酒を積み、店に届ける。やるべきことは、きちんとやっていた。
ただ、その頃の酒屋さんはまだ、自分を「飲食の一部」だとは思っていなかった。
酒を売っている。酒を運んでいる。それだけの話で、厨房の中や、店の未来にまで踏み込む意識はなかった。飲食に対して、距離があった。
それは軽んじていたからではない。仕事とはそんなものだ、と思っていたからだ。

震災 

――平等の上に、特別が立ち上がった瞬間

2011年、東日本大震災。当時、彼が担当していた取引先は約150件あった。
日常において、彼はそのすべてに向き合っていた。配達も、対応も、仕事としての責任も、分け隔てなく果たしていた。平等であることは、すでに彼の中で“前提”だった。
理屈で考えれば、震災後も、全てを回るべきだった。
だが、実際に動こうとしたとき、真っ先に浮かんだ顔があった。
彼は、行く先を選んだ。好きな人のところへ。顔が浮かんだ人のところへ。
それは、誰かを切り捨てたということではない。これまで積み重ねてきた平等な仕事の、その先で、関係の深さが輪郭を持ったというだけのことだった。
意識的な決断というより、体が先に動いた結果だった。
このとき彼は、自分がすでに「誰と向き合って仕事をしているのか」を、無自覚のまま理解していたのかもしれない。酒を届ける“取引先”ではなく、人として気にかかる相手。
この震災を境に、酒屋さんの仕事は、平等の上に、特別が重なる形へと変わっていった。

③集合郎・山本専務からの依頼 

――期待と信頼の、その先へ

配達を続けて四年が経った頃、酒屋さんは営業という立場を引き受けることになる。
営業になりたかったわけではない。正直に言えば、避けてきた。
けれど、配達の現場で店の人たちから同じ言葉を繰り返し聞くようになっていた。
「酒屋君が営業やってくれたらいいのに」
現場の違和感や不満を、一番近くで見ている人間に向けた言葉だと思った。
自分がそこにいないことで困る現場がある。その事実を無視できなくなっていった。
ある日、山本専務はこう言った。
「何でもいいから、頼んでみろ」
軽い言葉ではなかった。冗談でもなかった。その一言には、覚悟を持って勝負してみろという熱があった。
酒屋さんが口にしたのは、藤原屋の頒布会の営業口数「60口」という数字だった。
藤原屋の頒布会で、その数は明らかに大きい。山本専務は静かにその数字を受け止めた。
結果として、酒屋さんは240口を積み上げる。歴代の記録を更新する数字だった。
だが、この出来事の本質は、売上でも、記録でもない。
山本専務が酒屋さんに預けたのは、数字ではなく、信頼そのものだったということ。
配達の頃から見てきた、現場への向き合い方。逃げずに話を聞く姿勢。立場が変わっても、線を引かない態度。
営業だから任せたのではない。信頼している人間だから、勝負をさせた。
このとき酒屋さんは、初めてはっきりと、現場の人間として期待されていることを知る。
酒屋としてではない。営業としてでもない。同じ飲食の現場を背負う一人として。
その実感が、この先の仕事の軸を決めていった。

④ しゅうさんからの「仲間」の太鼓判 

――「飲食人」になった瞬間

もう一人、酒屋さんの視点を決定的に変えた人物がいる。ぱぐぱぐの、しゅうさんだ。
しゅうさんは、酒屋さんを「酒屋」として扱わなかった。
店の話をするときも、酒の話をするときも、そこに線は引かなかった。
楽しいことも、弱音もごちゃまぜのまま、同じ温度で話す。
そのやりとりの中で、酒屋さんは少しずつ気づいていく。
酒を提案するという行為は、メニューを決めることでも、利益を積むことでもない。
その店の時間と人と未来に、自分も関わるということなのだと。
ある日、しゅうさんが言った。
「お前は、仲間だろ」
強くもなく、重くもなく、当たり前のように。
その一言が、酒屋さんの立ち位置を変えた。
同じ目線で話す。同じ重さで考える。同じ責任を前提にする。
外側から支える人間ではなく、同じ現場を背負う一人として。
このとき初めて、酒屋さんは自分を「飲食人」だと思えた。
そして今、その立場は、また少し変わろうとしている。
酒を売る営業から、人を育て、背中を見せる側へ。
「お前も変わったな」と言われることもある。
けれど、しゅうさんは言う。
「当たり前だろ。お前は、もっと上にいくだろ。」
飲食人になったことが、終わりではない。
その言葉を受け取ったところから、酒屋さんの次のステージが始まっている。

 

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