沖縄出店のきっかけ
沖縄の話が出たのは去年の11月28日でした。前職が一緒でお世話になっている(株)コジマ笑店の小嶋崇嗣氏(ジーマさん)のSNSに沖縄のリーシングの記事が載っていて「沖縄にお店出すんですか?」と気軽に聞いたのがきっかけです。そしたら「興味ある?5坪なんだけど。」とこれまた気軽にかえってきて。当時はコロナ禍で緊急事態宣言であったりまん延防止対策だったり飲食店として自由に営業できずつまらないことばかりやっていました。会社の利回りも余裕がなかったですし、外食に夢を持てない状況が続いていました。この状況で誰がこんな職業で働きたいと思うんじゃい!と。そんな時にジーマさんの投稿を見て、お金はかけられないけれど自分たちのスタッフにこんな状況でも飲食は楽しいってことを忘れないでほしい、例えばそれが沖縄で超ごく狭案件だったら面白いんじゃないかと考えました。そこからジーマさんと打ち合わせて、今年1月に沖縄入りしました。その時物件は建設中だったのですがいい感じの裏路地に位置していて、イメージが湧きました。リーシングのメンバーも教えていただいて、凄く実力のある方たちがたくさんいて、これは自分自身、会社自身の成長に繋がると思いました。このメンバーの皆さんと何か1つのことをやれたら面白いものになるだろう、商業施設っぽいのに商業施設じゃない空気感、ホットスポットを作れるのではないかと。ジーマさんは「強い人を探している」と言っていましたが、自分がそこにいられること、出店を決断できたことはコロナ禍が生んだ1つのラッキーだったと思っています。沖縄出店の話をした時の社員の反応
まず最初に、僕自身の経験をみんなに話しました。「前職で新人の頃、バンクーバーに新店ができることになり募集があった。なのにその時の僕は実力も自信もなかったから手を上げられなかった。本来なら新店舗だから各クラスの人材が欲しかったはずで、案の定、同期は立候補してバンクーバーに行ったのに、僕は行かなかった。そのことだけはいまだに後悔してる。なんにしてもチャンスを棒にふるったと思ってしまう。そんなまたとない経験ができたのになんで当時の僕は手をあげなかったんだろう、と。」その話を踏まえて、みんなに今回の沖縄に行きたい人はいるかと聞いたんです。ただし今回、僕の前途の話と違うところは、超ごく狭案件なので行くんだったら頭をはれる人じゃないといけなかったんです。しかもグループとしては4店舗目になるのでいくら狭い案件だとはいえ、今後どこの店舗に行っても大丈夫、というくらいの店長という存在に成長してくれないと困るということもありました。そしたら思いの外、何人か手をあげてくれて。でも僕の会社には家族持ちが多くコロナ禍では動きづらいというのもあり、独身者であることも条件に組み込まれました。そうして常駐する人間が決まっていきました。
今後のお店の運営について
基本店舗は2名体制で、1名は常駐。もう1名は仙台本体から2週間ずつヘルプで行くことにしました。「那覇ちょーちょ」がそこにあるだけで現地の人を雇ってしまうと本末転倒になってしまうと考えていて、何より一番会社としてやりたいことはそれなんです。仲間が1人沖縄に常駐していることも大事ですが、年間のべ24人が仙台から沖縄へヘルプに行く。仙台と同じ「ちょーちょ」だけど、仙台と違う土地でしかも超ごく狭の店舗に。そうなったときにヘルプで行くスタッフたちにとって刺激になるし経験にもなるし、店舗に東北からわざわざ来たスタッフが立っていることの価値にもつながると思うんです。どうしても必要になってきたら現地採用も検討しますが、今はなるべくそのやり方でやっていきたいと考えています。社員だけでなく、バイトも含めてヘルプ要員は考えていて、学生でも夏休みに片道切符で2週間。稼いだバイト代で遊んで帰ってくる、というような会社としてのブランディングにもつながると考えています。「那覇ちょーちょ」のテーマ
商業施設なので他店との兼ね合いも考えましたがそもそもテーマは被らないだろうということで、僕は「居酒屋ちょーちょ」をそのまま持って行きたいと話しました。ちょーちょは2012年9月にOPENした1号店ですが、僕が青森出身であること、三陸の魚の美味しさをちゃんと伝えられる店であること、どんな年代・どんなニーズを持った人にも「ちょうどいい」店であることを念頭に組み立てたお店です。今回は店の規模も狭まりましたし沖縄ということもあり東北を代表して出店する意気込みでつくりました。例えば大きなねぶたを飾ることにしたのも、仙台のちょーちょよりも東北らしさをより前面に協調したかったからです。「この狭いのによくこんな邪魔くさいもの作ったね」と言って笑っていただきながら酒を飲んでほしいです。
(取材=澤田ていこ)